生きながらフリッカーに葬られ

Buried Alive In The Bogus


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相対化される女たち ~『カフェでよくかかっているJ-POPのボサノヴァカバーを歌う女の一生』をめぐって

  1. 2013/08/18(日) 14:32:49|
  2. サブカル
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111.jpg

こんなコピペをご存じだろうか?

・反戦してる連中を鼻で笑う
・自称笑いに関してはうるさい
・やたらクリエイター系の友達(コネクション)を作りたがる
・旅行は東南アジアやインドに行きたがる。 聞いてもいないのに冒険話を語りだす。ツアーを否定してる。
・自称アナログ主義者(カメラ、AV機器、時計等)
・写真に興味があり、写真に一々うるさい
・フジロック、サマソニ、ロックインジャパン、等のフェスにとりあえず行ってたりする

 映画監督:塚本晋也、北野武、森田芳光、岩井俊二、SABU、 石井克人、石井聰亙、青山真治、黒澤清、
      ヴェンダース、 キューブリック、フェリーニ、デビッドリンチ他短編、単館、マイナー映画
 音楽  :YUKI、CHARA、林檎、FPM、小島麻由美、テイトウワ、ブランキー、 ギターウルフ、
      ラブサイケデリコ、ハイロウズ、ゆらゆら帝国、UA、 スカパラ、くるり、フィッシュマンズ、
      エゴラッピン、ナンバーガール、 スーパーカー、ハイスタ、イースタンユース、コーネリアス、
      フリッパーズギター、 ミッシェルガンエレファント、175R、ブラフマン、SOBAT、
      他自称コア系バンドとやら
 ファッション:ヘッドポーター、N(N)、U、BAPE、HECTIC、バランス、 ビームス、ハリウッドランチマーケット
 漫画  :松本太陽、井上三太、大友克洋、安野モヨコ、岡崎京子、高野文子
 ドラマ :濱マイク、探偵物語、TRICK、ケイゾク、踊る大捜査線
 本   :Emily the Strange
 人物  :浅野、永瀬、窪塚、柴崎コウ、土屋アンナ、よっぴー、今宿、 中谷美紀、古田新太、竹中直人、
      ヒロミックス、はな、
 雑誌  :STUDIO VOICE 、relax、Snoozer、cut、Hとかのロキノン系雑誌
 家具家電:イームズのチェア(椅子と言わない)、ミッドセンチュリーモノ、 アテハカ、BOSE
 バイク :トラッカー系(TW、FTR等)、SR、ベスパ、ビッグスクータ、ズーマー
 自転車 :プジョー、他BMXや小径車


わたしが初めてこのコピペを見たのは、ゼロ年代の終わり頃だった。まだ2010年にはなっていなかったと思う。
一見して、そのディテールの量に圧倒されて、その「意味」はストレートに伝わってこなかった。
このコピペは一種の「ライフスタイルの指針」であり、「このコピペの通りの趣味を持てばイケてるよ、と親切に教えてくれるもの」かと思っていたくらいだ。
どうやらこれが「サブカル」と呼ばれる人々を揶揄するために作られたものだと気づいたのはしばらく後だ。
揶揄としては弱いな、と思った。たとえばわたしみたいにこのコピペを「イケてるわたし作りの指南書」だと
受け取る人間は少数派でも、この膨大なディテールの蓄積からひとつの人物像をこころの中に結べて、
それを嘲笑へと結びつけることが可能な人もまた少数派だろう。
揶揄としては弱い、という直感の通り、さまざまなネガティブなdisがまかり通るネット流行語の世界で、
このコピペはあっという間に埋もれていった。

渋谷直角さんの話題の本、『カフェでよくかかっているJ-POPのボサノヴァカバーを歌う女の一生」を読んだ
とき、真っ先に思い浮かんだのは先のコピペのことだった。あのコピペが一画面に収まらないほどの情報量に
溢れている意味も、やっとわかった。

表題作、「カフェで~」のストーリーをちょっと書き出してみる。

主人公、カーミィは「渋谷系」直系らしいバンドのボーカルで、プロを目指す女の子。
プロと書いたが、彼女が目標とするところは詳細に決定されている。CDデビューのあとはユニクロのCM曲をやり、
中田ヤスタカと小西さんにプロデュースしてもらって、アパレルブランドも立ち上げて、TVブロスで連載を持ち
最終的には「カーミィという職業」に至りたいというのが彼女の野望だ。
彼女は野心は「有名になる」ことだ。「そのためなら手段も選ばない」。
彼女にはラーメン屋でバイトをしている彼氏がいるが、野望のためにあっさり捨ててしまう。
曲を作って貰うためにバンドのメンバーに抱かれ、タイトルにあるJ-POPのボサノヴァカバーのCDに参加するため
に、イケメンのインディーレーベル社長に小便をかけられることさえ厭わない。
彼女の野望は思わぬ顛末を辿り……というのがおおまかなストーリー。

シンプルな絵柄だが、背景やちょっとした小物といったディテールが異様に細かいのがこのマンガの特徴だ。
例えばボサノヴァカバーのCDを出すために、インディーレーベル社長にカーミィが抱かれるホテルの名前が
「HOTEL ポンヌフ」だったりするのは乾いた笑いを呼ぶ。
その他にも、カーミィのCDラック(にしているカラーケース?)に並んでいるのが、CHARA、UA、レベッカ、
BONNIE PINKだったりするのも「うわー」という感じで辛い。とどめは物語のラスト、行きつくところまで行きついた
カーミィはクロックスのサンダルを履いているのだ。

ここには、わたしがゼロ年代に出会ったあのコピペのように、「ディテールの莫大な積み重ねによって人を揶揄」
しようという明快な意志がある。おそらくは、そのような「ディテールの莫大の積み重ね」によって自らの人生を
隔離した人々が実際にいて、そのような人々を揶揄するには、先のコピペや渋谷直角さんの作品のように、
同じくディテールの積み重ねによって対抗するしかないのだろう。無数の手業がとびかうカンフー映画の攻防
を想起させられる。

それにしても手間が掛かっている。ディテールを積み上げながらストーリーを紡ぐのはかなりの労力が必要だった
はずだ。
そしてその労力の有無こそが、現実から目を背ける男と女への嘲笑の顕在化に至るまでの時間差を生んだ。


はじめてオタクということばが世に出るのは、漫画ブリッコ1983年6月号、中森明夫さんの激烈なエッセイ
「オタクの研究」によってだ。
その第一の特徴は、揶揄すべき対象が世に出てから、攻撃に至るまでのスパンの短さだ。
1983年といえば、ヤマト世代が生まれてからでさえまだ10年も経っていない。
この「オタクの研究」はオタクということばを生みだしたのみならず、オタクというものの記号化をその嚆矢で
なしとげた。コミュニケーション下手、「イトーヨーカドーや西武でママに買ってきてもらった980円均一、
1980円均一のスラックスを小粋に着こなし」、ショルダーバッグ、ガリ、白豚、おどおどした態度。
いまに至るまでに通用する「オタク」というものの記号化をその初っ端でなしとげた中森明夫氏の手腕には
驚かざるを得ない。それはともかく――。

1983年の「オタクの研究」は、未来を予言するようなこんなことばで締めくくられている。

  でもさぁ、結局世の中誰でも最後は結婚するんだよね。で『おたく』
は誰と結婚するのかなぁってずっと不思議だったんだけど、おそろしい
事実に気づいたね。なんとこれが、『おたく』は『おたくおんな』と結
婚して『おたくこども』を生むのであった。ジャンジャン。


ここに「おたくおんな」ということばが出てくる。「喪女」も「腐女子」も、そんなことばなんてありゃしない、
オタク文化の黎明期にだ。だが、恐らくは中森明夫さんの頭の中にも、「おたくおんな」の具体像は浮かんで
いなかったのではないかという気がする。微細を極めた「おたく男」のカリカチュアライズに極めて、具体的な
言及はほとんどない。

オタク男の記号は、広く人口に膾炙するほどに広まった。その中で、女の子たちは相対化の裁きからは逃れられた。
彼女たちは記号化されて嘲笑されることもなく、固く守られたシェルターの壁の中で安寧の日々を過ごした。
――かどうかは、女ではない筆者には知るべくもない。

とあれ、冒頭に挙げたコピペがぼんやりとした攻撃にしかならなかったくらい、現実逃避する女子については
長らくお目こぼしの状態がつづいていたのだが。が。

こと、去年から今年にかけて、立て続けに文化系女子に対して、揶揄、相対化の攻撃がつづいているのはどうした
ことだろう。だがその対象は中森明夫さんが存在を予知した「おたくおんな」ではなく。
「サブカルクソ野郎」(カフェで~帯裏の惹句より)だった。

eriko.gif
mika.gif

すでにみなさまおなじみであろうこの二人が、三十年、誰も踏み入れられなかった領域、すなわち
女性のネガティブな記号化をなしとげつつある気がする。
トゥギャッチにおける小野ほりでぃさんの連載には歴史的意義があると思う。
それまでにもたとえば安野モヨ子や内田春菊といった漫画家が、揶揄的な女性の記号化を行ってはいた。
だがそれはエリコちゃんとミカ先輩ほどには強烈なネガティブな輝きを放っていなかったように思う。

日本人であれば誰でも「オタク」と聞けば、「ああ……」と半笑いで馬鹿にしたようなうなずくだろう。
同じように「エリコちゃんとミカ先輩みたいな女」という一般化された記号が、これから女性を追い詰めて
いくのかもしれない。

それは男オタクが三十年、十字架として抱えていたものを女性にも背負ってもらうということだ。
眉をひそめる世間の目、揶揄とからかいと嘲笑。

これは時代の流れという気がする。正直、いまの時代の流れは誰にもやさしくない。
女性だからと相対化のお目こぼしを受けられる日々は、もう終わったということだろうか。
互いに互いを指さし、嘲笑うことが唯一の楽しみであるような虚しい日々。
そんな虚無しか未来にはないのだろうか。
そんなことはないと思う。冒頭のコピペに始まって、ここまで挙げてきたものには描かれなかったある要素がある。
それは、誰がなんといおうとどう評価しようとわたしはこれが好きという強い意志

カーミィは、結局のところ歌うことが好きではなかったのだ。
「ダウンタウン以外の芸人を基本認めていないお笑いマニアの楽園」の栗田くんも
「空の写真とバンプオブチキンの歌詞ばかりアップするブロガー」のケンちゃんも
自己表現の手段を持ちつつ、それはあくまで手段で、他人の目線なんて気にならないほどに好き、なものでは
なかった。

そこに唯一救いをもたらすのが「口の上手い売れっ子ライター/編集者に仕事も女もぜんぶ持ってかれる漫画」
の主人公だ。
彼の最後の選択、それこそが、この末法の世に残された唯一の希望だと思う。
大事なのは自分が好きなものをとことん愛すること。「幼いころ、あの映写室を愛したように」
成功というのはその先にひょっとしたらあるかもしれないが、おぼろげなものでしかない。
好きな物に触れて、好きな物とともに時間を過ごせた、そう感じられることだけが救いなのではないか。
よくやったってことの褒美は、よくやったってことだけなのだ。

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パラノーマン ~搾取に失敗したエクスプロイテーション映画

  1. 2013/08/17(土) 22:43:35|
  2. 洋画
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『パラノーマン ブライスホローの謎』という映画の本質についてようやく理解できた。
あまりにも遅すぎる悟りだ。四月に劇場でこの映画を観てから、すでに四ヶ月が過ぎている。
一部好事家を除き、あまり評判にもならなかった作品なので、ざっと概要を説明したい。

タイトルにもあるブライスホローというのはアメリカの田舎町で、かなり露骨にマサチューセッツ州セイラムを
モデルとしている。有名な魔女裁判のあった街だ。この街に住むノーマン少年には秘密があった。
彼は幽霊と会話することができるのだ。そう、シックスセンスのコール少年のように。ある日、(ジョン・グッドマン
演じるところの)怪しげなおじさんがノーマンに警告を告げる。魔女の魂が悪霊を呼び起こし、街を滅ぼす。
ノーマン少年は街を救う為に、仲間たちとともに街の過去と秘密を探る旅に出かける――。

製作期間3年を掛けた、凝ったストップモーションアニメの秀作である。制作に3年もかけるなら、もっとメジャー
受けするネタをやればいいと思うのだが、シュヴァイクマイエルといい、ストップモーションアニメをやろうという
人たちにはなにやら変な業を背負っているようで、幽霊が見える少年というニッチなネタを扱っている。

恐らくは、そのニッチなネタがわざわいして、パラノーマンは日本ではヒット作とは成らなかった。
そう、わたしがずっと胸にひっかかっているのはそこなのだ。
これが自主製作映画で、実写ならばなにもいうまい。どんな題材を扱おうがそれは自由だ。
だがメイキングを観ればわかるが、商業ベースに乗る長尺のストップモーションアニメを作るというのは
凄まじい苦行なのだ。その労力に見合ったペイを得ようとは考えないものだろうか?
なんだって「幽霊が見える少年の冒険」なんていう、暗いネタを扱ったんだ?

そのタネが、昨晩、いきなり解けた。
物語開始早々、ノーマン少年の通学風景を描いた印象的なシーンがある。第三者視点から見ればノーマン少年は
静かな背景で独り言をつぶやく気持ちの悪い少年にしか見えない。だが彼の主観(丁寧に二つの視点で語り直して
ある)から見れば、ノーマン少年は顔なじみの幽霊たちに囲まれ、挨拶を交わし、軽口を叩き、実に賑やかだ。
このシーン、どこかで見たことがあると思っていたんですが、四ヶ月経ってやっとそ元が思いつきました。
これって『黒いジャガー』だ。
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ブラックスプロイテーションの元祖、黒いジャガーについてはかなり有名だと思いますが、それでもざっと概要を。
観客から搾取(エクスプロイテーション)するための金目当ての映画、その中には、特定の人種にむけた映画という
ものが存在します。ブラックスプロイテーションとは、ずばり、黒人観客のためだけに作られた映画。
主人公は黒人で、白人はやられ役。観客たる黒人をいい気分にして金を落とさせるために、「黒いジャガー」の
主役、リチャード・ラウンドトゥリーはかなりいい目を見ます。モテます。ぶっちゃけた話、黒人の女にも、白人の女にも
もてるのです。ですが重要なのはこれから先。2013年現在、もっともアップトゥデートされたブラックスプロイテーショ
ン、『ジャンゴ 繋がれざる者』には描かれることがなく、ジャンゴがヒロインにその主人公の姓を与えるというかたちで
敬意を表した『黒いジャガー』にのみ描かれた、ある重要な要素があります。
『黒いジャガー』の主人公、シャフトは、男にも女にも、白人にも黒人にもモテるのですよ。

わたしはこの一点に、真の黒人の苦渋が現れているように思えます。
『ジャンゴ 繋がれざる者』の白人をムチ打つ黒人、という図式は、やはり白人の発想なのかなと思うほどです。
アメリカにおける黒人ほどに長いほど、人間性を剥奪されて生きてきた人ならば、望むものはなによりもまず。
受容でしょう。

黒人たちは、ムチを持って白人に復讐するよりもまず先に、いろんな人たちに受け入れられたかったのです。
実際、黒いジャガーにおける主人公シャフトのモテっぷりは印象的です。
彼は探偵ですが、知性というよりも、身につけたストリートワイズで事件を解決していきます。
そしてその過程で、白人、黒人、男、女、ホワイトカラー、ブルーカラー問わず、誰もが彼に好意的なのです。

さぁ、だいぶ遠回りしました。ぐるっと回って、パラノーマンに戻りましょう。

ノーマン少年が幽霊たちに気軽に声をかけながら通学していくその風景。
その風景に、黒いジャガーの「モテるシャフト」の姿を二重写しにしたときに、この映画の謎は解けました。
これは、ある差別された人々にむけた、その人たちにむけた搾取映画(エクスプロイテーション)なのです。
どんな人種なのか。
オタク(ギーク)です。
パラノーマンは、オタクスプロイテーション映画としてこの世に生まれたのです。


その証拠のように、パラノーマンのメイキングでは、製作会社ライカの人々が自分のことをこう語ります。
http://www.youtube.com/watch?v=YweoNjdiPFE

「だいたいアーティストは変人ばかりだからね、フットボールの主将だった人はいない」
“変人”である自分たちを肯定するために、パラノーマンは「変わり者である主人公が受容される話」になりました。
ならざるを得なかったのです。
おそらくは、採算とか、計算とか、度外視で、制作者は「そういう物語」を作らざるを得なかったのだと思います。

パラノーマン ブライスホローの謎。
これは「変人」が「自分が受容される世界を描き、同じく変人から搾取することをもくろんだ」
エクスプロイテーション映画なのです。





パシフィックリム ~Puffを忘れなかった男

  1. 2013/08/12(月) 22:51:24|
  2. 洋画
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PacificRim.jpg

アメリカのフォークソンググループ、ピーター・ポール&マリーに「パフ(原題:Puff,the magic dragon)という
古い曲がある。

パフは魔法の怪獣 海に住んでる。
秋の霧におおわれたハナリー島で遊んでた。
可愛いジャッキー・ペーパーは大きなパフが大好きだった。


少年ジャッキーと怪獣のパフは大の親友になった。
海へと乗りだし、冒険の日々をすごす一人と一匹。
だがやがて別れの日がやってくる。

怪獣はけして老いない。小さな子供はすぐに老けていく。
鮮やかな翼や大きな光輪は他の玩具にとってかわられる。
ある寂しい夜 ジャッキーは遊びにこなくなった。
パフはそれきり 吠えるのをやめた。
悲しさのあまりパフの緑の鱗は雨のようにはがれ落ちた。
パフはもう桜並木へはいかない
親友はもうそこで待ってはいないのだ。


歌詞の後半で、パフとはおもちゃの怪獣であることがわかる。
少年ジャッキーは大人になってしまったのだ。
屋根裏部屋に――あるいは湿っぽい押し入れに、納戸に、わたしたちは何匹ものパフを置き去りにしてきた。

人生の後半に突入し、中年が犯すありとあらゆる過ちと悪徳に手を染めて、ふと我が身を振り返り、驚くことがある。
子供のころ、一緒に遊んだあのソフトビニールの怪獣たちはどこにいっただろう?
あの頃の夢を手放し、なにやら違うよこしまなものを追い求めて、結局手元にはソフビの怪獣一体残っていない。
雨に打たれた野良犬のような疲労感だけが残る。ぶざまな人生だ。

思うのだ。
パフはいまでも待っているのではないか。屋根裏部屋で、押し入れで、いや、どこでもいい。
わたしたちがあの頃のように目を輝かせて、扉を開けて帰ってくるのを待っているのではないか。
人は弱い。夢を追い続けるにはあまりにもか弱い。
弱い男たちは、一人ずつ、パフを胸の中から引きずり下ろしていくのだ。代わりの荷物をつめるために。

だが。
だがここに一人のメキシコ人がいる。彼はあきらめなかった。彼は忘れなかった。
自分が過ごした少年時代のあこがれを。どこか遥か後方に置き去りにしたパフのことを
一瞬たりとも、忘れたことはなかった。

メキシコ人の少年は、かつて瞳に焼きつけた「パフたち」に命を吹き込んでみせた。
200億ドルの巨費と世界中の映画館をつかって、夢を叶えてみせた。
夢の名前をパシフィック・リムという。

冒頭、ゴールデンゲートをKAIJUが破壊する、そのワンシーンで胸をわしづかみにされた。
68年生まれのわたしは、さすがに初代ゴジラには間に合わなかった。しかし平成ゴジラには余裕で間に合った
世代だ。だが劇場には足を運ばなかった。怪獣映画なんて子供だましだと馬鹿にしていた。
その愚かな半生に制裁を加えるがごとく、KAIJUの爪はわたしの胸をも切り刻んだ。
スクリーンに! 巨大な生物が! 動き回っている! それだけで! 快感なんだ!
知らなかったーーーー!!

それからあとの展開については、多くを語らない。多くの人々と同じく、この熱い物語をわたしは楽しんだ。
わずかなりでもデルトロの目線に屈託があれば、こちらもかまえて多くを語りたくなったりしたろう。
言い訳という名のことばを。だがもう、いいのだ。ありがとう。楽しませてもらった。
云いたいことはそれだけだ。

おれたちはみんな諦めた男だ。
自分の夢を、どこかで諦めた。
だがメキシコで生まれた一人の男は、自分の子供の頃の夢を諦めず、巨大なシルエットを持ったそれで
われわれの内なる大地をめちゃくちゃにした。
わたしたちは、そのことをどこか痛快に思うのだ。

パフの話しには、ひとついらない蛇足がつく。
ジャッキー少年が帰ってこなかったのは、ベトナム戦争に従軍して、そこで戦死したからだ、
そんな説があるそうだ。
およそ子供の想像力というものを甘くみた、ふざけた話だと思う。
たとえNAMの泥の川にジャッキーが瞳を閉じて横たわっていたとしても。
表面から見られるのは瞳を閉じた彼の顔だけだ。だが瞳の内側では。
彼はパフと楽しげに遊んでいる。
できうるなら、わたしが最後に瞳を閉じたとき、かつての親友たちが迎えにきてくれることをわたしは願う。




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