生きながらフリッカーに葬られ

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次の戦争を生き延びるために

  1. 2015/01/07(水) 23:39:04|
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保阪正康 『田中角栄の昭和』を読んだ。

田中角栄の昭和 (朝日新書)田中角栄の昭和 (朝日新書)
(2010/07/13)
保阪 正康

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最近、日本の高度成長期に興味があって、戦後史の書籍を読みあさっている。
そんな中で、スポットライトが当たるように、田中角栄という人の存在が突出して見えてきた。
越後平野の農村で牛馬商の息子に生まれた男が、故郷を苦難と貧困から救いたいという大志を抱き、それがやがて
国全体のかたちを変えていき、目に見える豊かさだけを追い求める彼の視線を、ついに国中が共有するようになる。
いまもつづく日本と日本人の性質を、ある程度規定してしまった人じゃないかと思っている。
まぁ、この本もそんな田中の業績を振り返ってみようという気持ちで手にしたのだが、戦後に彼が登院してからの
あれこれよりも、軍隊時代の彼を描いた冒頭の部分がいちばん印象的だった。

多くの日本人がそうだったように、戦後の田中は軍隊時代の自分の経験については多くを語らなかった。
だから、そのパートは短く、彼とおなじ部隊にいた戦友のことばも、たったひとつしか紹介されない。
だが、そのひとつが無類に面白いのだ。

昭和十三年春、徴兵年齢に達した田中は甲種合格となり、満州に送られた。
田中はすでに十代のころから社会に出ていて、隊内では彼の存在感は異色だった。アメリカの映画女優のブロマイドを
持っているのを見つかり、殴打されたという。一週間に二晩か三晩は、田中は私刑を受けていた。
田中角栄という超人的な実務能力をもった人間を、そんな環境に放り込んだらどうなるか。

田中自身の回想がないため、そこは類推しか記されていないのだが、彼はどういう具合にか、前線の一兵士から、
中隊本部の事務方に呼ばれ、そこで酒保や糧秣の係を担当することになったという。どういうかたちであれ、上官に
取り入ったんだろう。

ここから、彼の上官であった片岡甚松の回想につづく。

たしか昭和十五年の夏ごろでしたか、ソ連の国境に一個中隊が警備を担当していて、そこに角栄がいて、
あのころ酒保といって酒を売ったりするのがあり、その係を角栄がやっていた。
消灯後、私が巡視をしていたとき、角栄が戦友を五、六人集めて車座になって酒を飲んでいた。
(略)
「輸送中に壊れた酒を、手伝ってみんなに飲んでもらっているんです」
と言って、底の割れたビンを見せるんです。ああ、こいつはおかしいなと思ったんですけどね。そういう応対を実に巧みに
行うもんだから、おかしいとは思ったけれども、早く消灯して寝ろと言ってその場を去ったんです。
要領がいいというか、実際に割れたビンもあったかもしれないが、自分で割ってもそのビンを横に置いとけば言い訳は
立つし、なかなか頭のいい奴だなと瞬間思いましたよ。そういう点は勘が鋭く、度胸があるんだな。こっちは怒る
ことができないし……。 (『田中角栄の昭和』72ページ)


場所はソ連の国境近く、時はノモンハン事件の直後、死のヒートマップでいえば真っ赤に染め抜かれたその時、
その場所で、田中角栄は酒を飲んでいた。
それを見つけた上官も、「こっちは怒ることができないし……」と黙り込んでしまう。
この顛末はひどく滑稽だし、同時にどこか痛快だ。田中が戦後、悪名を極めた宰相になる、ということは引いておけば、
彼はこの時点で一介の兵隊に過ぎない。それが悪知恵と機転で(ことばのごとく)美酒にありつく。
映画ファンだったら、なんとなくこのシーンを思い出してしまうんではないだろうか。
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戦争という歴史について、人はついひとつのトーンで語ってしまいがちだ。
それが黒であれ、白であれ、かまわないのだが、「戦争を選んだ戦前の日本人は特殊な人たちで、発狂していて、
いまの日本人とは関係がない」という考え方だけは絶対に違うと思う。
それがどんな組織であれ、人間のつくったものならば、たとえ表向きはひとつの理念を掲げても、構成員の中では
さまざまな温度差があり、それがグラデーションを描きながら、なんとか塊になっているのだ、とこれはこの社会の
底辺で生き抜いてきた実生活の経験から、そう思う。
崇高な愛国心に我が身をささげた人だって当然いただろう。
社会主義の理想を掲げたまま、暗い獄中で命を落とした人だっていただろう。
だけど、ひたすらに自分の保身を考えて、ずるく意地汚く生き延び、そしらぬ顔をして戦後を生き延びた人だっている。
前掲著には、田中が仮病を偽り、満州から帰還したのではないかという疑念が提示されている。

タイムラインにリツイートが流れてくる。
右傾化に警鐘を発するもの、政府の不正を暴くもの、あるいは逆に隣国の反日政策を弾劾するもの。
そのたびに、わずかな苛立ちを覚えるのだけれど、その正体に名前をつける前にタイムラインは流れていき、
ネタツイートや仔猫の画像にこころを奪われてしまう。
そんな日々を繰り返していて、最近やっと、苛立ちの原因がわかった気がする。

政府が、マスコミが、野党が、与党が、電力会社が、北朝鮮が、市民団体が、サヨクが、ネトウヨが、
「実は裏でこんなことをやっていました!」。ふーん、それで?
その情報が明日やってくる戦争を生き伸びるのになんの役に立つの?
右も、左も、農村地域の出身とかでなければ闇米食って生き延びてきた人間の子孫のはずなのに、
とりあえずなりふりかまわず明日を生き延びる術について、お婆ちゃんからなんにも受け継いでないんだな。
まぁ、俺もなんだけれど。

戦争はきらいだ。
仕事して映画みて感想をTwitterに挙げて、そんなのほほんとした日常をつづけていきたい。
でも日本の右傾化は避けられないと思うし、極限状況に放り込まれる可能性だって高い。
戦争ってのはどこかの狂人や独裁者がひとりで旗振ってできるわけじゃない。
財布の中身が薄くなってきたとき、飢えが身近に迫ってきたとき、戦争を選択する政治家を後押しするのは国民だ。
日本はこれからどんどん貧しくなっていくだろうし、極端な考えを持つ人の数はどんどん多くなっていく。
「安倍はヒトラー」とぶち上げて、それですべての証明終わり、とばかりに涼しい顔してるやからには本当に腹が立つ。
世界でもっとも民主的と云われたワイマール憲法のある国で、そのヒトラーを選んだのは飢えた国民だったのに。

だから俺が知りたいのは、明日やってくる戦争を生き延びるための手段だ。
もう歳も歳だから、戦場に放り込まれることはないかもしれない。
それでも究極まで高まった同調圧力の中で、逃げ場のない中で、必死に明日を生き延びる術をさぐる日がきっとくる。
その時に必要になるのは、鹿屋基地から旅立った若き飛行士の遺言ではなく、
ずるく、意地汚く、権力に媚びを売って笑顔で日の丸を振りながら、戦争が終わるなり国に踊らされた哀れな被害者に
シフトした、悔恨共同体の構成員、俺や、あなたの爺ちゃんや婆ちゃんの、経験ではないのか。
俺はそういう記事を読みたいんだよ、日本ライフハックさんよぉ。

戦争がはじまるまでは、呑気に映画をみつづけるつもりだ。
でもいつか戦争が始まって、終わったら、焼け跡に立った最初の映画館にきっと俺は駆けつけるから、そのときは
憑き物が落ちたような顔をして、互いに好きな映画の話をしようね。
「警鐘」なんていくら鳴らしたって間に合わない。
俺は次の戦争を生き延びるための準備を、今日からはじめるよ。
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