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生きながらフリッカーに葬られ

Buried Alive In The Bogus


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プレイス・ビヨンド・ザ・パインズ/宿命

  1. 2013/07/21(日) 22:22:42|
  2. 洋画
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0
193127_400.jpg

父親との折り合いが悪く、生家とのつきあいが途絶えて二十年近くになる。
そのながい沈黙のあいだに、遠い親戚がいちどだけ電話をかけてきた。
叔母は美しい人だった。少なくともわたしの脳の中に残っているイメージでは。
声から想像するに、声帯のまわりにたっぷりと脂肪がつき、彼女は老けて、ふくよかになり、
そして恐らくは幸せなのだろうと思った。
そんな彼女が、電話を切る間際、感に堪えかねたようにこう云った。
「あんたの声なァ、若い頃のお父さんの声にそっくりや」

電話が切れたあとも受話器を握りしめていた。
汗で受話器のプラスチックが湿って、不快だったことをよく覚えている。
この映画を見て、あのときのなんとも云えない感じを思い出した。

宿命、とは日本の配給会社がつけたサブタイトルであろうが、日本の映画界では宿命と云えば自動的に
橋本忍と、彼が脚本を書いた「砂の器」を想起させるようになっている。その連想がさほど的外れではないので、
わたしはこれは上手い邦題だと思った。

「水よりも濃い」血によって紡がれた縦軸の物語。父と子、二代にまつわる業(カルマ)のお話だ。

なによりも褒め称えられるべきは、ショーン・ボビットの撮影だろう。
この方、調べてみたらわたしが大好きなウィンターボトムの「ひかりのまち」の撮影監督で嬉しくなってしまった。
それはともかく、ボビットによって撮られた冒頭数分間の長いワンカットが、この長尺映画の魅力の何割かを
担っているとわたしは思った。

ライアン・ゴズリングはこの作品でも名演技を見せているが、まずは彼は背中だけで勝負する。
遠くから聞こえてくるサーカスのジングルらしき音。画面に映るゴズリングの背中。ピンは彼の背中にあって
被写界深度は浅く、背景はぼんやりとしか見えてこない。
恐らくは巡回サーカスの敷地の中を歩いているのだろう。そのゴズリングの歩みがなんともいえないのだ。
櫂を無くした舟のように、頼りない歩み。どこへいくのか自分で分かっていないような歩み。
それはそのまま、彼の今後の人生の行く先が、まるであやふやなことを暗示している。
そして、我々の人生だって、そんなものではないだろうか。どこへ行くとも知れない。明日はどうなるか
わからない。
だからこの作品の冒頭十五分と、西鶴一代女の冒頭十五分を見れば、
わたしたちの人生についてはおおよそのところが把握できる。
大げさだと笑っちゃいけないよ。本当のことです。

そして冒頭のシークエンスが終わったあとで語られるのは、典型的な負け犬の転落人生だ。
ゴズリングは家族を養うために銀行強盗に手を染める。
このオートバイを使った強盗の描写が相当にスリリングで映画的豪華さに満ちあふれているため、誤解しそうに
なってしまうけれど、これは決して痛快なクライムアクションなどではない。映画のあちこちで、悲劇へと至る
結末は何度も何度も暗示される。そしてゴズリングの物語は、その通りの結末を迎えてしまうのだ。

前情報なんにもなしで観にいったんで、本当に驚いたんですけれども、ゴズリングの人生が終わっても映画は
つづくんですね、びっくりした。
強盗に失敗したゴズリングを、「世界にひとつのプレイブック」のブラッドリー・クーパー演じる警官が追い詰める。
そして視点はゴズリングを射殺したクーパーに移り、第二部が始まるんですよ。

しかも、なんとも豪華な構成だなーと思ったんですが、この映画、視点が変わるたびに映画のジャンルが変わる
んですね。ニューシネマ的なバイクアクションから、警察の内情を描いたクライムサスペンスへ。
このシーン、汚職警官役のレイ・リオッタが車の中を覗き込むシーンがめちゃくちゃ怖いです。
だってレイ・リオッタの顔が、車のフレームに邪魔されて見えないんですよ! 映画なのに!
それからレイが顔を動かして、ゆーーーーっくり彼の顔が見えてくる。ほとんど貞子ですよ。
そう、第二部はちょっとホラーが入っていたりもするんですね。

そしてブラッドリー・クーパーがひとつの事件の解決をみて、人間的に成長し、どうなることかと思っていたら。
暗転した画面にいきなり十五年後って出て、わたしは劇場でリアルに「ファッ!?」と叫びましたよ。

十五年後の第三幕の主役は、成長したブラッドリー・クーパーの息子。
そして彼が、とある出会いをする、ある少年。
この二人が画面に出揃ったときは、本当に鳥肌が立ちました。今年の映画体験の中でも、もっとも映画的快楽に
溢れかえった瞬間と云っても過言じゃない。そういう話か!というあの悟り。

ここでもショーン・ボビットの撮影が光ります。
少年は、自転車に乗っているのです。
それを背後から捉えるショットが、角度といい、カメラの高さといい、彼の父がオートバイに乗っていた
ときのショットとほぼ同じなんですよ。映画的快楽って、こういうのを云うんじゃないでしょうかね。

そして第三部に至って、ようやくこの映画の主役でありテーマでもある業(カルマ)が顔を出します。
父が息子へと受け継「がせてしまった」業は、果たして息子の人生までも支配するのか。
それとも息子は、輪廻の輪から脱出することができるのか……。
答えは、そう、タイトルが表している通りなのです。

松林の向こう側。
では逆に松林のこちら側とはどんな世界でしょう?
そんなこと、聞く必要なんかないじゃないですか。あなたはよく知っているでしょう?
ずっと同じ人に囲まれ、ずっと同じ景色を見て、ずっと同じ恐怖に囚われている。そんな生活をあなたは良く知っているはずでしょう?

なんの刺激もない街に土砂降りの雨
この街は人を滅入らせてしまう
退屈な街に土砂降りの雨
この街は住んでいる人をダメにしてしまう。

  The Smiths William,It was really nothing.

わたしたちはみんな松林の中に住んでいます。
ヒッチハイクすれば、電車に乗れば、あるいはイーニドのようにバスにのれば、容易く出て行けるはずの
小さな小さな世界に住んでいます。
いつでも出て行ける、とみんなが云うのです。
でもあなたは知っているのです。あなたが住んでいるその街に出口がないことを。

わたしたちの人生はどうして一代で終わらないのでしょうか。
どうして、絶望しかないとわかっているこの世界に、新たな生命をもたらせつづけるのでしょうか。
それはたぶん祈りなのだと思います。
自分には無理かも知れない。
だがひょっとして、自分の血を継いだ、子供なら。
プレイス・ビヨンド・ザ・パインズ。あの松林の向こう側へ、行けるかもしれない。
それは祈りです。

この映画は、祈りでできているのです。
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