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生きながらフリッカーに葬られ

Buried Alive In The Bogus


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たそがれ酒場

  1. 2015/05/27(水) 23:44:48|
  2. 邦画
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:2
tasogare.jpg

 酒の席で日本酒を頼む。そのときに人肌で、とひとこと添えてみたいという憧れがある。
 下戸とは云わないが、晩酌の習慣を持たず、酒に溺れたこともない私にはわからないが、酒飲みのあいだには秘儀めいたしきたりというものがあるらしい。
 燗の温度の指定などもそのひとつで、温度の高いものから順に、飛びきり、熱燗、上燗、ぬる燗、人肌、日向(ひなた)。まるで呪文だ。人肌燗はぬる燗の40度よりも若干低めの35度。なるほど、人肌である。
 人間の肌の温度にあたためられた酒を口に含んで酔う、というのはなにやら艶めかしい行為ではないか。
 アルコールを飲む行為そのものが人との距離を縮めるから、艶容さはいや増す。
 自分の知らない、人の生々しい深奥をのぞく、神秘めいたすべを酒飲みは知っているのではないか。
 これは飲酒の習慣とは縁遠い人間なら、誰でもいちどは妄想する類のものだろう。
 
 内田吐夢の「たそがれ酒場」は、ひとつの酒場の店内に舞台を限定した映画だ。
 ベネシャンブラインドの隙間からたそがれの陽が差し込む開店前の酒場を冒頭とし、あかりの消えた明け方の酒場をラストショットとする。
 夢のような一夜のあいだに、さまざまな人々が酒場にあつまり、酔い、去っていく。
 終戦から十年。未舗装の道路にむかって開け放たれた入り口からは土の匂いが漂ってくる。くすぶった紫煙の匂い。笑い声。怒声。野次。女給たちの姦しい声。汗。ピアノの音。そして歌声。
 騒然とした「たそがれ酒場」で飲む酒は、ここちよい人肌にあたたまっていそうだ。
 
 冒頭、開店前の酒場からはじまる長回しが印象的だ。
 テーブルの上にのった椅子の林のむこう、スクリーンの下方から、小杉勇が演じる元絵描きがのぼってくる。この酒場は道路から一階ぶん階段を上がった場所にあるのだ。元絵描きがゆっくりと視線を上げる。すると思ってもみなかった場所に、ピアノが据えてある。酒場の床からさらに上へとのぼる、広い踊り場のような場所だ。
 そこでは小野比呂志演じるピアノ演奏家と、宮原卓也のバリトン歌手が、演奏をつづけている。
 中二階のような場所にピアノがある、という構造にまず驚く。そして小杉勇の見上げる目線から、ピアノ演奏家とその弟子の奏でる歌が、この映画においては地上(グラウンド・ライン)よりもツーステップ高い場所、俗世から浮いた気高い場所にあることが示される。
 歌というものの持つ意味が過多で、肩を組み合う戦友のようなものだった時代。
 素っ気なくスピーカーから流れる有線放送の代わりに、生演奏と生の歌声をとどける歌声喫茶があった時代。
 この映画が描いているのはそんな時代だ。
 
 シューベルト、チャイコフスキー、「カルメン」、歌謡曲、軍歌、労働歌。
 ジャンルもでたらめな曲の数々が、客からのリクエストとして挙がるのだが、演奏家と歌手は黙々と仕事をこなす。
 選ばれる曲のチャンプルーぶりが、そのまま「たそがれ酒場」に集まる人種のごった煮感を表現している。
 サラリーマン風の三人連れがいる。
 はちまき姿の労務者たちがいて、スーツをぱりっと着こなした新聞記者の一団がいる。
 いまではただの競馬狂いになった元軍人と、その上官がいる。
 バリトン歌手は人気ストリッパーに秘めたる慕情を抱き、女給のひとりは地回りのやくざと敵対する流れ者に恋をする。
 
 群像劇が好きだ。「マグノリア」や(ハギスの)「クラッシュ」などは大好物だ。そこに「グランド・ホテル」を嚆矢とするアンサンブルキャストの一群をくわえても、「たそがれ酒場」はそのどれともことなる。映画を縁取る構造物が違うのだ。
 グランドホテルの客をへだてる壁は、たそがれ酒場にはない。
 酔客はみな、たがいの肩が触れそうな場所に座っている。
 わけへだてしない、距離の近さが「たそがれ酒場」の最大の特徴だ。
 清濁あわせ飲んだその場所は、酒場というよりも巨大な混浴風呂のようだ。
 
 「たそがれ酒場」のチャンプルー感がもっとも顕著にあらわれているのが、加東大介演じる元軍人と、その元上官の東野英治郎が激昂するくだりだ。
 酒場に、学生服を着た一団と、彼らの恩師らしき人物が来店する。
 彼らは店に、ぬやまひろしの「若者よ」のレコードをかけてくれるように頼む。

 ♪若者よ 身体を鍛えておけ
  美しい心が たくましい身体に
  からくも支えられる時が いつかは来る♪
  
 その歌詞に、元帝国軍人たる東野英治郎が逆上する。なんと生ぬるい歌を!というわけだ。尾羽打ち枯らした彼らにしてみれば、若さを鼓舞するようなその歌声は耐え難い。
 そこへ、窓の外から人々の歌声が聞こえてくる。聞けば、懐かしの軍歌、「歩兵の本領」だ。喜び勇む東野と加東だったが、実は窓の外の群衆が歌っているのは、労働歌として替え歌された「聞け万国の労働者」だった、というオチ。
 激昂する東野を、はちまき姿の労務者がにらみつける。労働者の味方である学生を、旧態依然とした元軍人などが抑えつけるのはとんでもない。
 一方では、瞳に挫折を宿した、時代が異なるならば「アカシアの雨に打たれ」たような風情の年かさの学生たちが、襟首のぱりっとした学生服を、苦々しげに見つめている。
 いったいこの構図はなんなんだろう?
 
 考えてもみてほしい。
 現代。日曜日の午後一時、駅前のサイゼリアに、バナナリパブリックのブレザーにびしっと身を包んだアッパーミドルの父親が、そつなく着飾った娘を連れてやってくる。
 店の中にはGAROの新台開店で当てが外れたリフォーム専門の塗装工が居て、羽振りのよさそうな親子に絡み始める。
 それを定年退職した団塊世代の元公務員が止めに入る。
 その騒ぎを、ミラノ風ドリアをつつきながら、雇い止めにあったばかりの派遣社員が苦々しげに見つめて、手にしたiphoneでヘイトスピーチをネットに撒き散らす。
 やがて物憂げなイタリア民謡を流すスピーカーが、初音ミクの千本桜を流しはじめて、店内の客たちは世代の差も立場の差も超えて、肩を組んで歌い始める。
 そんな構図を思い描くことができるだろうか?
 わたしたちは目に見えない壁に十重二十重に取り囲まれ、いつのまにか息をすることすらままならない。壁は誰にも見えないけれども、そこを越えることは許されず、もはや壁のない世界を想像することすら難しい。
 街のどこにもゲットーはないけれども、立場のことなる人と、混み合った酒場で相席する機会すらこの身には過ぎた恩恵だ。
 そんな身にしてみれば、たそがれ酒場のごった煮な空気は、切ないような、情けないような複雑な憧憬を呼び起こす場所だった。
 
 人肌の、その温度。
 生ぬるい空気に慣れてくると、映画が進むごとに、この酒場がまたとない、かけがえのない場所に思えてくる。
 そこは楽園ではなく、そう描かれてもいない。ため息もあれば、涙もあり、あげくの果てには刃傷沙汰もある。
 だけどもとりあえず、とりあえず、自分とはまるで異なる人種が、同じ酒場のとなりの席にいてくれる。それだけのことがとんでもない恩寵だと思えてくる。
 ほろ酔い加減で振りかえれば。
 酔客に煙草を売って回る老女がいる。彼女はうろたえ気味に煙草を差し出し、拒まれ、また今夜も売れなかったとため息をつくのだ。
 ほろ酔い加減で振りかえれば。
 席から席へと八層飛びのごとく駆け抜けて、他人から酒をかすめとるお調子者がいる。どんな人にも愛想がよく、適当に話をあわせ、その実彼にはなんの内実もないのだ。
 ほろ酔い加減で振りかえれば。
 戦争孤児となった女給がいる。彼女は流れ者に大阪への逃避行を誘われるが、病気の母と幼い妹のために、この街にとどまることを選ぶのだ。
 ほろ酔い加減で振りかえれば。
 ストリッパーの女がいる。彼女は初心なバリトン歌手に恋心を寄せられ、そのことを歓びつつも、無邪気に浮かれることができない我が身を呪い、それでも微笑みを返す。
 振りかえれば。
 たそがれ酒場の席のあちら、こちらに、見知った顔が見える。貴方の。そしてわたしの。
 わたしたちはたったひとつの酒場で席をおなじくし、酔った頭のなかで手垢のついた夢をもてあそび、酒のちからを借りて毎晩のごとく飛翔をこころみるが、たどりつく先はため息と苦笑いの漏れるグラスの上だ。
 わたしたちは互いにどうしようもなく孤独で、互いの傷をどうすることもできず、ただおなじ場所に存在するだけだ。
 それでも、目線を同じくする場所に、この場所に生を受け同じく死ぬ運命にあるのだという実感だけが、わたしたちを救うのではないだろうか。
 
 「たそがれ酒場」という映画は、フレームの奥行きを出すために、面白い試みをしている。
 前述のとおりこれは群像劇で、座席のひとつを選んでドラマが進行するのだけれども、X軸のむこうがわで、必ず他のうごきがあるのだ。
 たとえば地回りのやくざ(丹波哲郎!)がひそひそ声で悪巧みをするむこうで、元軍人が競馬新聞をめくっていたりする。
 座席のあいだをひっきりなしに他の客が歩き回り、あるいは店に入ってきて、あるいは店から出て行く。その合間を縫うように女給たちの元気な声が響く。
 加藤大介演じる元軍人などは、デモ隊の歌う労働歌に激昂し、店からふいと出て行ってしまい、戻らない。そのまま「たそがれ酒場」から、この映画から、この物語から、退場してしまう。
 彼の退場をいぶかしんでいるヒマはない。新しい客が、新しいシーンが、新しい物語が、つぎつぎにこの酒場にやってくるのだ。
 そのうちに「たそがれ酒場」という場所が、なにかの隠喩ではないかという疑いが芽生えてくる。
 わたしたちはふらりとこの店にやってきて、まばたきのようなわずかな瞬間、出会いを繰り返すのだ。そしていつか千鳥足でこの店を出て、こう思うのだ。ずいぶんと酔い、そして喉が嗄れるまでよく喋ったものだ、と。
 「たそがれ酒場」という映画は90分ほどで終わってしまうけれども、エンドロールのあとで暗くなった画面を見つめていれば、やがてすでに顔なじみになった彼らは帰ってきて、また酔ってくだを巻始めるのではないかと期待してしまうのだ。
 これは奇蹟だと思う。すでに鬼籍に入ったひとも多い、役者の演じる彼らに、わたしたちは実在感を感じる。映画というのは、人類が発明した唯一の奇蹟なのかもしれない。
 映画になにを求めるのか。人それぞれだろうと思うけれども、わたしはきっとそこに人肌を求めているのだと思う。わたしはきっと寂しいのだ。人と人の肌が触れ合う、リアルな瞬間に出会って、驚いてみたいのだ。
 
 わたしに「たそがれ酒場」の存在を教えてくれたのは、とある知人のひとりだ。彼女は今月、亡くなった。
 与えられたものだけが多く、返し得た恩はあまりにも小さく。勇気のなさからかけることのできなかった言葉の数々は、わたしを責め立てた。わたしは絶望し、途方に暮れた。そんなときにこの映画のことを思い出した。
 
 映画好きにとって、眠れぬ夜を癒してくれる映画の一本を教えてくれることが、どれほどありがたい恩恵か、わかるだろうか。
 たとえ眠れぬ夜が、その人の不在がもたらしたものであったとしても。
 永遠に消えることのなくなった寂しさを抱えたことを痛感しつつ、いまのわたしは満ち足りている。彼女とふたたび出会えることのできる場所を、見つけたからだ。
 
 そこには死んだ人間も、生きた人間も区別がない。
 死んだ役者がリアルな生を見せつけるその場所に、そんな区別など意味のあるものか。
 くだらない歪んだプライドが見せつける壁など越えて、いつかまた、「たそがれ酒場」に行こう。
 そこにはすべての人間がいるはずだ。決して楽園ではない。ため息も涙もある。
 それでもそこには、みんながいるはずだ。
 
 本当にありがとうございました。
 ご恩は忘れません。安らかにお眠りください。
 いつか、また、たそがれ酒場で会いましょう。
 
 
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comment

Re: 見なくては。

  1. 2015/05/28(木) 01:57:39 |
  2. URL |
  3. はまりー
  4. [ 編集 ]
とらねこさん、お読みいただいてありがとうございます。
そんなに派手ではなく、こっそり誰かに読んでいただければいいなぁと思っていたので、
とらねこさんに読んでもらってこのエントリーは完成しました。感謝します。

職場に、酒のつまみは塩一択!という酒豪のじいさんがいまして、この人がいつも人肌にこだわるんですよ。
ああいうのはおじさんがやるとよく似合います。いつか真似しようと思いつつ、なかなか……。
あ、もちろん素敵な女性がやられても、それはかっこいいと思います(笑)。

見なくては。

  1. 2015/05/28(木) 00:03:54 |
  2. URL |
  3. とらねこ
  4. [ 編集 ]
わあ、私はまだ見ていないのですが、『たそがれ酒場』が見たくなりました。
ベタベタするでなく、力いっぱい叫ぶでもなく、そっと寄り添う追悼文…
さり気なく思い出しつつも、いつでも帰ってこれる感じ。
この記事大好きです。

私はちなみに酒は「常温で」と頼んでました。
とある三茶の酒屋の店長(素晴らしい!)が、酒本来の美味しさを感じるには常温が1番と言っていて、
以来“常温派”になっちゃいました。
ものによっては熱燗で飲んで美味しいものもあるらしいのですが。
でも、「人肌で」と頼む方が、なんだか格好良くていいですね。
私も真似しようっと。

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