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生きながらフリッカーに葬られ

Buried Alive In The Bogus


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この世界の片隅に

  1. 2016/11/19(土) 01:53:00|
  2. 邦画
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0
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映画、この世界の片隅に、を観た。

まったく唐突だけれども、わたしには少々困った友人がいる。
生まれたときからのつきあいで、なんの縁かは知らないが、かたときもそばを離れたことがない。
親友と呼んでもさしつかえのない間柄で、懐の深いその佇まいをわたしは愛してやまないのだけれども、やつには悪癖がある。
人なつっこい笑顔を見せたかと思うと、次の瞬間、ふいに顔を曇らせ黙り込むことがあるのだ。
気がおけない幼馴染みだというのに、わたしには決して触れさせない部分がある。
たわいもない戯れの合間に、ふと話題がそのことに及ぶと、能面のように無表情になり、黙り込む。
かと思えば、借り物のような味気ないことばで話題を流そうとする。
わたしは親友と呼びたいのに、どうしてもやつのその部分には触れられない。
魂に触れた、忌憚のない間柄だと云い切れない。

だからこの映画を見終えたときに、わたしは目に涙を浮かべながら、やつを抱きしめたい気持ちでいっぱいだった。
ああ、やっと本当のことを話してくれたんだね。
それはなかなか厄介だったね。簡単には口に出せないよね。それでも、やっと、やっと話してくれてうれしいよ。
わたしの友人の名を「日本」と云う。
友人がなんどもなんども口の端に浮かばせながら、70年も生々しい自分のことばに変えられなかった、その傷を「戦争」と云う。

太平洋戦争の戦没者、230万人という数字。
その数字だけで充分だったはずなのだ。とてつもない天文学的な数の死者。
それでも数字を見つめているだけでは、もどかしいくらいに手がとどかない。死んでいった人たちが、なにを見て、なにを聞いて、
なにを感じていたのか。そして遺された人たちが、どんな日々を過ごして命をつないでくれたのか。
どうしてもこの肌に感じられない。
それは「日本」のせいだろうか。とんでもない。恐ろしく近視眼的な、目の前のことしか見えないわたしの想像力のせいだ。
映画のことだけに限ってみてもいい。この70年間の膨大なトライアルを他人事にしてきたのはすべてわたしのせいだ。
「火垂るの墓」を観てわたしは泣いた。他人事として泣いた。節子はわたしの妹ではなかったから。
「沖縄決戦」を観てわたしは震えた。呆然として、それでも数日すると曖昧になった。わたしの近親者は沖縄にいなかったから。
「野火」のおぞましさに驚愕した。それでも拒食症になったりはしていない。昨日も今日も、きちんと食事をおいしくいただいた。
日々の営みをおくりながら、それでもこころのどこかにつきまとううしろめたさ。それも繰り返せばやがてあきらめへと至る。
そんな自分をこころの底で見下しながらも、余裕をぶっこいていたわたしを、ついに「戦争」の真芯に触れさせる映画が現れた。
それが「この世界の片隅に」だったのだ。

確認しておこう。この映画はアニメだ。
つまりはすべてのショット(カット)すべての描線すべての色彩を、制作者の意図のもとにコントロールできる。
そのことにここまで自覚的なアニメ映画を、わたしは知らない。
この映画の冒頭から泣いた、という人をネットでずいぶんと見た。おつかいに出かけた少女が街へ行く。なんということはない
シーケンスだが、タイトルが出るころにはわたしも鳥肌が止まらなくなっていた。この映画の細部に至る膨大な時代考証について
わたしは無知だ。そのわたしでもいま目の前で起こっているのがとんでもないことだと、直感で感じ取れた。
この映画の監督は、観客をまるごと戦時下の広島につれていこうとしている!
あなたがこの映画を映画館のどの席でみたのかは知らない。だがそこは戦時中の日本のただ中に飛び込める、特別あつらえの
プレミアムシートだったはずだ。すがめで見ることなど許さない。俯瞰などさせない。身体まるごと「あの時代」につれていく。
監督のそんな強い意志を感じて、ただ震えるしかなかった。

大潮の日、草津の叔父に三人がすいかをとどけに行く、あのシーンを覚えておられるだろうか。
眠り込んだ妹のすみを、叔父が揺り起こす。すみがぐずった声をあげる。
ああ、知ってる、そう思った。わたしは親類縁者と縁が切れているので、眠っている姪を揺り起こした経験などない。
それでもあんな風に眠りこけている子供の、頬についた畳の感触や、縁側のむこうから吹いてくるやさしい風や、
叔父のてのひらの優しい感触や、叔父の手にきっと伝わったすみの温かさをはっきりと感じた。
わたしの感受性がすぐれているなどと云いたいのではない。これは技術の結果だ。ディテールへの際限のない執着、世界を
まるごとつくりだそうという意志。その執着や意志が、わたしの過去から、近似値にある体験を引きずり出してきただけだ。
冒頭からつみあげたディテールと執念による世界の構築は、序盤のこのシーンでわたしからすでにスクリーンのむこうの
他人事という感覚を奪っていた。

昭和十九年、広島の江波に住む少女、浦野すずは、呉に住む事務官、北條周作に見そめられて呉に嫁ぐ。
この映画の大半が描くのは、それからのすずの、なんということはない日常だ。
“日常”?
すずが呉に嫁いだ昭和19年2月は、クェゼリン島で日本軍が玉砕した月だ。トラック島の空襲では巡洋艦那珂らが沈み、
翌月にはインパール作戦が開始されている。
そんな中での、銃後の“日常”で、すずは米を研ぐ。縫い物をする。早起きして井戸から水を汲みにいく。
すずは働き者だ。倫理的なことが云いたいのではない。映画はアクションであり、この映画はすずの動きまくる手足の描写の
集合体だ。映画の被写体としてすずは申し分ない“働き”をするのだ。
それは二つの意味をもたらす。ひとつは、懸命にうごきまわるすずに、観客はどうしたって感情移入せざるをえないという事。
もうひとつは、終盤でこの映画が描くある“喪失”の意味を、観客が充分に納得できるようにする事。

この映画は、ある意味でよきたくらみを秘めもつミステリーだ。
誰も思わない。米を研ぐ。縫い物をする。包丁をふるう。荷物をもつ。井戸から水を汲む。自転車を漕ぐ。庭の草を毟る。
それらのすべてがたくらみなのだとは。
だから終盤に至って、呆然とする。
自分たちの観てきたものが、唐突に変質し、別物になる様にただ驚愕し、震えるしかない。

そしてその時にはもう遅いのだ。
70年に及ぶわたしたちの回避行動はついに無為に終わったのだ。
他人事ではない。
すっきりと泣いて、映画館を出て、翌日には綺麗さっぱり忘れられるような可愛いしろものではない。
愛おしい日々、愛おしい風景。それらに観客が陶酔しているあいだに、監督はしっかりうしろの扉を閉めてしまっている。
すずさんは。すずさんの家族は。すずさんの住む街は。
他人じゃない。余所の街じゃない。
だから戦争とあなたは、他人ではない。

片淵監督は、こうの史代の原作のすごさを伝える代弁者である、ということをおっしゃっている。
この映画のすごさを語るときに、こうの史代の原作のすごさを伝えないのは片手落ちというものだろう。
おそらく片淵監督の意図によるものだと思うが、原作最終話のあのあまりにも力強いモノローグは、映画からすっぽりと
抜け落ちてしまっている。映画を観て原作を未読という方には、ぜひ一読を薦めたい。
映画を観る前に再読してみてあらためて感じたのは、ひょっとして戦争を題材とした創作は、女性にこそ適しているのでは
ないかということだった。
「戦争と平和」と「坂の上の雲」をならべてみたところで、林芙美子「浮雲」の凄味にはかなわない、と(個人的に)思う。
「この世界の片隅に」という映画を観て、もっともつよく類似性を感じたのは、近藤ようこの「戦争と一人の女」だった。
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著者近藤ようこさん御本人からいただいたことばを借りるならば「すずさんたちとは対極にいるような退廃的な男女の話」
なのだが、ステレオタイプ化された「戦争」からの脱却をみごとに果たしているという意味において、この両作は近い場所に
あると思う。この映画が琴線に触れたという人はぜひいちど手に取ってみてもらいたい。

最後に、このわたしの経験を話させてもらって、いいだろうか。

生まれてはじめての経験だった、と思う。映画のラストシーンが描く、呉の風景。そこから地続きの場所で、この世界で、
わたしの父や母がたしかに生きている。そうスクリーンのむこうの風景に感じるのは。

わたしは昭和四十三年生まれで、父は昭和十一年生まれだ。
映画の冒頭では父はまだ生まれていない。江波の岸辺に大潮がきた、あの翌年に父は生まれ、映画が描くすずの結婚生活の
期間を七歳から九歳の少年として過ごした。
いま父がどうしているかは知らない。ずいぶんとむかしに家を出て、二度と戻らなかった。いま、生きているのかもわからない。
記憶に残る父は、とにかく無口な男だった。自分の戦争体験については、ついにひとことも語らなかった。
父だけではない。多くの人が、みずからの戦争を語らない。「この世界の片隅に」を観た多くの人が、「ことばが出てこない」と
云った。それは「戦争」という体験を、生身で、あるいは映画を通して知った人の味わった人間として近似値の反応だと思う。

わたしには二重の断絶がある。実の父親と縁が切れている。そして父が語らなかったことによって、戦争とも地続きでは
なくなった。そのことがずっとながいあいだ、わたしの最大の傷であり、弱味だった。

この映画を観ることで、やっとその傷がすこし塞がった気がするのだ。映画の終盤で、なんならすずさんは、わたしの父の頭を
撫でてくれたのだ。わたしはこの映画にとても感謝している。やっと父の話が聞けた気がするから。

そしてもちろん、この映画の描く世界の、反対側の片隅に、あなたの父や、母や、祖父や、祖母がいたはずだ。
だからもう怖がらなくていい。うしろめたさを感じなくていい。
この世界の反対側の片隅に、あなたの萌芽はちいさくかたく潜んでいたはずだ。だからあなたと戦争はもう他人じゃない。
わたしと父が他人じゃないように。

おとうちゃんなぁ。
今晩な、やっとな、おとうちゃんの話、聞けたで。苦しかったやろな。つらかったやろな。歯がゆかったやろうなぁ。
それでもどうしようもあらへんもんな。おれが昭和の豊かさのなかで育っていくなかで、かけることばなんてあらへんかった
やろ。話してもわかってくれへん思うたんやろ。
でももう、わかったんや、おとうちゃん。
おとうちゃんの話がやっと今夜、聞けたから。
話してくれてありがとう、おとうちゃん。
この世界の反対側の片隅で、生きていてくれて、ありがとう。

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